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千歳 « 雑記

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2010/05/27

大胆な臆病者

仁王は孤独に弱い。孤独というストレスに対してあまり耐性がないんですね。束縛より自由を選んだくせに。孤独と自由はいつも抱き合わせなんだと知っているくせに。(@ストレンジカメレオン=私のベスト282ソングの一つ(ちなみにBank Band版が一番合っていると思う))
その辺りが、属性が近しいながらも仁王が千歳と性状を異にするところだと思います。
二人とも自分の世評に頓着することが少なそう(もっとも仁王の場合、相手を利用するという目的があるときは別)で、退廃的ヒモ自己愛が希薄そうってのは2人共通してるんですが、仁王のとらえどころのなさは、杳として底の知れない、ある種の不気味さを帯びているのに対し、千歳はどちらかというと放蕩無頼の方ですよね。季節が巡るたびにねぐらを転々として、ひとところに長く留まることのない渡り鳥のような。千歳には、仮に段ボールで路上生活を営んでいようと陰鬱さはあまり感じません。台風による増水で川縁においてあった家財道具がリヤカーもろとも一切合切神隠しされてしまったとしても、千歳は明るく「ああ~しょうがなかったい!ま~たかき集めてくればええと~」ってさほど落胆もせず日常に戻っていきそう。かっる~い!そしてゆっる~い!!
ああそうか、フーテンの寅のイメージに近いのか。放浪先で数々のマドンナとアバンチューる旅ガラス・千歳か…いい!!そしてその先々で種を落としていく千歳…と。(下ネタ的な意味で)

あの灼けるように熱かった全国大会から十数年後…美しく成長したミユキの前に突如一枚の写真をテニした(デフォ変換)幼い少年が現れた!
ミユキ「ボク…どげんしたとね?」「まいごになっとっと?」
少年はミユキの顔を無遠慮にためつすがめつした後、千歳家の前から動こうとしない。
ミユキ「お母しゃんは?」
少年「…」
少年は無言で手にした写真をミユキに突き出す。
ミユキ「?」
少年「おっかあはいんようなった。これ、おっとう。おっかあになんかあったら、おっとうに面倒さみてもらえって」
それは、半年前ニセコ消印の絵はがきが届いてから音沙汰のない兄の若かりし頃の写真だった!…こうして少年とミユキの奇妙な共同生活が始まる!!

…みたいのは駄目でしょうか。

【続き】
万里と名乗ったその少年との奇妙な二人暮らしも何とか板についてきた頃、ミユキの前に一人の幼い少女が現れた!
ミユキ「ん?こげんとこでなんばしょっと」
少女は無言でミユキの前にある写真を突き出した。それはなんと、三ヶ月前手紙(屋久杉とともに映った写真を同封・ピースサイン)を寄こして以来音沙汰のない兄の若かりし頃の写真だった!!
チサトと名乗る少女「これ、オトンや。オカンはオトンとこ行け言うた」
…更に三ヶ月後…ミユキの前に双子の以下略

千歳は誰の子でも構わずに認知しそうです。その後千歳を追いかけて来た未成年の押しかけ女房なども加わり、千歳家はてんやわんや。

…そろそろ自粛しようか。

ここまで書き連ねておいて何ですが、そもそも千歳に住所不定の事実はない。ミユキにも謝れ。それにしてもミユキの男運のNASAはあっきらかに千歳のせいですよね。一番身近な異性がだめんず代表のような男の上、見初めた男は要介護認定の手塚。もっとも千歳のせいお陰で世話女房気質のミユキだからこそ、手塚にはミユキをあてがいたいのですが。こんなに塚ミユを押しているのに、ほとんど目にしたことがありません。もっと増えてもいいはずなのに…
 
 
 
…話を戻します。仁王と千歳の違いについてでしたね。こう考えると、仁王は繊細で千歳は図太いんだな。

仁王は孤独に弱いので、孤独の影が忍び寄ってくる前に自分からいなくなる。卑怯で臆病ですよね。残された相手に喪失をすべて押しつけて消えてしまう訳ですから。失踪と言うほど大げさなものでもないと思うんですが、ある時ひょっこり姿を消してしまいそうな不安定な感じがするのは、仁王からそう言った繊細さが感じ取れるからかなと思います。そしてそう言った行動に結びつくのは、自分が傷つくことを本能的に避ける、という臆病で卑怯な仁王の自己防衛手段なのではないでしょうか。目的を遂行するために肉を切らせて骨を断つことは厭わないくせに、こんなところで傷つくことを恐れる仁王はずるい!そんなん、好きに決まってるやろ。

対照的に、比呂士の方がきっと孤独に対する耐性があると思います。こう言うと語弊があるかも知れませんが、比呂士は自分に対していまいち意気地がない(自己肯定することに自信がない)という男性的な弱さと、孤独に対する耐性と言う、女性的な芯の強さを併せ持っていると思うんです。千歳のような図太さとはまた違うんですが、平たく言うとこれもある種の図太さだと言えます。比呂士は、堪え忍ぶと言うことができる。あ、そうかこれがアニマ(ユング の説において、男性の無意識内にある女性的特性)なのかな!?凄くしっくり来た。ゼノ(ギアス)で培ったオタク知識がこんな所で活かされるとは。

例えば、平均寿命もそうですが、一般に妻に先立たれた夫より夫に先立たれた妻の方が長生きであるというイメージが強いですよね。生物学的な理由もあるとは思いますが、平たく言うと女性のがしぶとく生きてる。こういう場合連れに先立たれた男の方が、がっくり来ちゃって憔悴しちゃう。仁王はもろに後者なのではないかと勘ぐっています。そうであってほしい。実際様々な創作物において、連れがいないと着替えがしまってある場所もわからないとか、食事一つも満足に作れない、と言った描写もよく目にします。まあ仁王は身の回りのことは平均程度にソツなくこなせそうですが。
一方女性はと言えば、割とたくましく立ち直って、ちゃっかりと人生のタイムラインを仕切り直して行ける人が多い。女性は強くたくましいといったようなことが言われる所以ですよね。

比呂士に関してはそこまで露骨とは言わないものの、仮に人生を左右されるような大きな喪失が起こっても、どれだけ時間がかかろうとも最終的には立ち直って前を向いて歩いていくのではないかと思うのです。だからきっと比呂士の方が芯が強い。そうかだから心太なのか!違うけど。どうでもいいけどトコロテンってさあ…ひろしさあ…いや、やめておこう。深読みはいけないな。

もう少し一般化して言うと、比呂士の方がストレスに対する内部処理がうまいんですね。これは行きすぎてしまうとただの逃避に繋がってしまうけど、健全な精神を保持する上で必要不可欠な防衛本能です。そもそもここら辺が弱かったらとても医者などやっていけないですよね。(比呂士=将来医者を当然のように前提とする)
一方仁王はそれが下手。だからいつまでも昔のことを引きずってる。
この内部処理に必要な燃料が時間であったり、傍にいてくれる他人だったり、せわしない日常だったりすると思うのですが、これも総じて女性の方が長けていると思います。細かいことをねちねち混ぜ返すのは女性だけど、大局的な決断を迫られたときにいつまでもうじうじ悩むのは男性の方、みたいな。

そう言った理由から、男やもめ比呂士ってのも…いいいいい!!!もえますね!!!比呂士済まない。
仮に仁王に同じことがあったら多分グッダグダに弱っちゃうと思う。「最愛の伴侶を失った仁王」なんて、想像するだけで痛々しい。だから仁王はそうなる前に自分の方から姿を消す。自分が孤独に弱いことを知っているからです。ずるい男です。そして仁王はその設定容姿からしてすべての手札がワイルドカードみたいで、あらゆる意味でずるい。あれでいて実は相当なグラスハートだなんて本当にずるい。
…ということを言いたくて描いたのが4/30の絵なのですが、例によって想像してたもとの全く別物になりました。

更に言うなら、仁王は深手を負っていればいるほど表面的には平静に装おうとするところが猛烈にずるい!!!

見てきたかのように語っていますが、すべて妄想です。でも私知ってる。

そう、私が思う仁王の悲しい性分のひとつに、本当に深刻なことほど軽く、ひょうきんに伝えてしまう、というのがあります。そう、シリアスほどカジュアルに。しつこく自分革命について語りますが、仁王にこういうバックグラウンドがあると思って聴くと更に涙腺崩壊です。いわゆるピエロもえって奴です。(ネーミングは今考えた)

一方比呂士はと言うと、彼にも例外はあって、仁王より芯が強いとは言ったものの、その喪失が「自分が引き金となってしまった」場合、きっと逆転現象が起こると思うんですね。それが直接的であれ間接的であれ、自分のせいで取り返しのつかないことが起こってしまった、となったら比呂士はきっと自分のことをひどく責める。例えそれが客観的に見て比呂士自身には非がないようなことだったとしても、比呂士はきっと自責の念を禁じ得ないと思うのです。ここで普段紳士の仮面の下に隠れている持ち前のネガティブを遺憾なく発揮。たぎるぁ~
反面仁王は必要以上に自責の念に駆られたりするようなことは無いと思う。その辺りの線引きは比呂士よりもドライでしょう。
こうしてみると、あらゆる点において正反対であると言うことは、あらゆる点においてお互いを補い合える関係であるとも言えるんですよね。双対性の妙とでも言いましょうか、

さいこうじゃねーの…!!!!!!!!!!!!!

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Tags: 282, 仁王, 千歳, 四天宝寺, 手塚, 柳生, 比呂士, 立海

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