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2011/02/01

テニフェス<体>

テニフェス<体>に行ってきました。

一昨年の記事を見たら、感想が「宗教」の2文字だけだったので、多少なりとも冷静さを取り戻した今、今年はせめて日本語の文章として感想を残しておきたいと思います。

AndroidでWordPress用の編集アプリがあるので途中までそれを使って書いていたのですが、これでどこからでもメモ&更新できるじゃん!と意気込んだはいいものの、むしろ投稿頻度が下がりました。なんで??
そんな私の端末はauから満を持して発売となった初のスマートフォンなんですが、メーカーが端末をチューンしすぎてOSのアップデートが見送られることとなってしまいました。世の中はもう3.0 Honeycombの時代が来るいうのに、私の端末ではFlashも見られずATOKも使えません。なんで??

続きから<体>の感想です。
もちろん、着眼点は偏っています。

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Tags: MASAKA, ミュ, 仁王, 手塚, 日吉, 比呂士, 氷帝, 真田, 立海, 謙也, 跡部, 青学

2010/07/06

SQ8月号

SQですね。
星のデルタが夜空を染めたサザンクロスが揺れる大地だったり、中だけど外道せんぱいがどうみてもT-ウィルスに冒されたタイラント(多分倒れるたびになんかアイテム落としてる)だったりで既に前半で瀕死だったんですが、ここは柳ですね。

う〜ん、これはまだ柳の真意を測りかねます。
ここへ来て赤也の矯正を身内に委ねることはせず、MASAKAの外部委託。普通に考えたら、無責任きわまりないですよね。
身内に適任者はいないと判断してのことなのか、あるいは身内にリスクを負わせることを避けたのか、すべての要素を鑑みた上で、それでも白石が最大の適任者だと考え苦渋の選択をしたのか、この柳、なんかもう高校生と中学生という言うより大きな派閥の前に学校の垣根とかどうでも良くなっちゃってるのか、そもそも柳の独断なのか、乾にそそのかされたのか(これは嫌だけど)、いくらでも理由は考えられますが、どっちにしろずるい。
参謀はずるいわあ〜。そんなしたたかな参謀も決して嫌いではないですが、やっぱりずるい。

そして、ここへ来て無駄にお人好しすぎた白石にMASAKAのトキメキがメキメキとわき上がってきて戸惑いを隠せません。普段四天宝寺において「お人好しが祟って割を食う」ポジは謙也の担当だと思うんですが、この時赤也を庇った白石ははらりとはだけた左腕の包帯を脇目に

「やれやれ…俺も人(←勿論最後の試合を千歳に譲った謙也を指す)のことよう言えんわな」

って心の中で独りごちているんですよね?先生!いやだもえる。
ただ、自戒…じゃない次回、リミッターを外して宙に浮くほどの武装闘気(バトルオーラ)を纏った都センパイ相手に、戒めの封印を解いた白石が見開きで邪王炎殺黒龍波(一発変換ありがとう)をぶっ放していたら、「エクスタってるけど真面目で堅実派・放任だけど保護者属性」という白石のパーソナリティーをいったんゼロに戻して彼を再評価しなくてはならない。「実は何のギミックもなかった」と言うオチも全然…アリです。

個人的には、「え??そこ紳士適任じゃない???出番じゃない?????」「今こそ体当たりの通訳に打って出る時じゃない??????」「あれ??紳士頭数に入れられてない?????????」と思ってしまうんですが、原作の紳士はそこら辺結構非情かつドライに書かれていますよね。そう思うと紳士もまた非情の掟に忠誠を誓う立海の主力メンバーとしての威厳がちゃんとあります。決め技を発動する時なんて二度と相まみえないことを前提に、今生の別れ(トドメと読む)の台詞「アデュー」ですもんね。たとえ相手がかつてのパートナーだとしても。(だがそれもいい)
確かに現時点の紳士に白石のような包容性を求めるのはちょっと無理な気がします。一人前の医者になってからなら話は別ですが。そもそもコートが違う、これか…。

かといって対赤也要員に跡部を宛がうのも現実的じゃないですね。面倒見はいいけど過干渉で口うるさいからきっと赤也積極的にキレちゃう。
「オイお前試合の前にちゃんとストレッチ…」
「うるせーな!今やろうと思ってたンスよ!!あ〜お陰でやる気なくなっちまったっ!!」
思春期の子供とオカンのやりとりです。手塚は会話が成り立つかすら疑問なので論外。クラウザーさんも何か知らん間に(赤也が)懐いてるっぽいけど年下だし話が通じるかどうかすら以下略。九州二翼もかなりの適任だと思うんですが(特に橘さん)、いかんせんあそこでがっちり固まってて隙がない。あと橘信者(ていうか伊武)の呪詛により悪魔化がさらに悪化しそうです。いつものことだけど正直自分が何を言っているのか分からない。そう考えるとあのメンツの中で悪魔祓いができそうなのは確かに聖書・白石が適任ですね。もしここまで読んでいたとしたら…柳の予知能力がそらおそろしいです。
あ、もしかして左手の封印はセイント的な力で悪魔を祓うための何かが隠されているのでしょうか?エクスタシーからMASAKAのエクソシストへクラスチェンジ!??別の意味で戸惑いを隠せません。

個人的にはあっくん×赤也とのガチンコ殴り愛〜ヤンキー他校に帰る〜、木手×赤也で〜もっと汚い手はいくらでもある!木手のヒール指南〜(←問題解決になってない)というのも捨てがたいなと思いましたが今はもう…ただその顛末を見守ることしかできない…いや、いつだってそうでした。神にあらがう術などなかった。信者に任されたのは何が起きようともただ見守り続けるという、簡単で崇高なおしごとでした。これからも見まもる係としてのスキルをがんばって磨いていきたいです!

メッセージもありがとうございます。後ほどお返事させて下さいね。
あと、ご指摘ありがとうございました。KA・BA・JIのおうちは外務省!!!勤務!!!!!!!!何故こんなおいしい設定を見逃していたのか…これで跡部との出会いのいきさつや英国時代のエピソードがごく自然に構築できました。ありがとうキャラメル・ママ!!

Tags: MASAKA, 医者, 四天宝寺, 手塚, , 柳生, 比呂士, 立海, 謙也, 赤也, 跡部

2010/05/27

大胆な臆病者

仁王は孤独に弱い。孤独というストレスに対してあまり耐性がないんですね。束縛より自由を選んだくせに。孤独と自由はいつも抱き合わせなんだと知っているくせに。(@ストレンジカメレオン=私のベスト282ソングの一つ(ちなみにBank Band版が一番合っていると思う))
その辺りが、属性が近しいながらも仁王が千歳と性状を異にするところだと思います。
二人とも自分の世評に頓着することが少なそう(もっとも仁王の場合、相手を利用するという目的があるときは別)で、退廃的ヒモ自己愛が希薄そうってのは2人共通してるんですが、仁王のとらえどころのなさは、杳として底の知れない、ある種の不気味さを帯びているのに対し、千歳はどちらかというと放蕩無頼の方ですよね。季節が巡るたびにねぐらを転々として、ひとところに長く留まることのない渡り鳥のような。千歳には、仮に段ボールで路上生活を営んでいようと陰鬱さはあまり感じません。台風による増水で川縁においてあった家財道具がリヤカーもろとも一切合切神隠しされてしまったとしても、千歳は明るく「ああ~しょうがなかったい!ま~たかき集めてくればええと~」ってさほど落胆もせず日常に戻っていきそう。かっる~い!そしてゆっる~い!!
ああそうか、フーテンの寅のイメージに近いのか。放浪先で数々のマドンナとアバンチューる旅ガラス・千歳か…いい!!そしてその先々で種を落としていく千歳…と。(下ネタ的な意味で)

あの灼けるように熱かった全国大会から十数年後…美しく成長したミユキの前に突如一枚の写真をテニした(デフォ変換)幼い少年が現れた!
ミユキ「ボク…どげんしたとね?」「まいごになっとっと?」
少年はミユキの顔を無遠慮にためつすがめつした後、千歳家の前から動こうとしない。
ミユキ「お母しゃんは?」
少年「…」
少年は無言で手にした写真をミユキに突き出す。
ミユキ「?」
少年「おっかあはいんようなった。これ、おっとう。おっかあになんかあったら、おっとうに面倒さみてもらえって」
それは、半年前ニセコ消印の絵はがきが届いてから音沙汰のない兄の若かりし頃の写真だった!…こうして少年とミユキの奇妙な共同生活が始まる!!

…みたいのは駄目でしょうか。

【続き】
万里と名乗ったその少年との奇妙な二人暮らしも何とか板についてきた頃、ミユキの前に一人の幼い少女が現れた!
ミユキ「ん?こげんとこでなんばしょっと」
少女は無言でミユキの前にある写真を突き出した。それはなんと、三ヶ月前手紙(屋久杉とともに映った写真を同封・ピースサイン)を寄こして以来音沙汰のない兄の若かりし頃の写真だった!!
チサトと名乗る少女「これ、オトンや。オカンはオトンとこ行け言うた」
…更に三ヶ月後…ミユキの前に双子の以下略

千歳は誰の子でも構わずに認知しそうです。その後千歳を追いかけて来た未成年の押しかけ女房なども加わり、千歳家はてんやわんや。

…そろそろ自粛しようか。

ここまで書き連ねておいて何ですが、そもそも千歳に住所不定の事実はない。ミユキにも謝れ。それにしてもミユキの男運のNASAはあっきらかに千歳のせいですよね。一番身近な異性がだめんず代表のような男の上、見初めた男は要介護認定の手塚。もっとも千歳のせいお陰で世話女房気質のミユキだからこそ、手塚にはミユキをあてがいたいのですが。こんなに塚ミユを押しているのに、ほとんど目にしたことがありません。もっと増えてもいいはずなのに…
 
 
 
…話を戻します。仁王と千歳の違いについてでしたね。こう考えると、仁王は繊細で千歳は図太いんだな。

仁王は孤独に弱いので、孤独の影が忍び寄ってくる前に自分からいなくなる。卑怯で臆病ですよね。残された相手に喪失をすべて押しつけて消えてしまう訳ですから。失踪と言うほど大げさなものでもないと思うんですが、ある時ひょっこり姿を消してしまいそうな不安定な感じがするのは、仁王からそう言った繊細さが感じ取れるからかなと思います。そしてそう言った行動に結びつくのは、自分が傷つくことを本能的に避ける、という臆病で卑怯な仁王の自己防衛手段なのではないでしょうか。目的を遂行するために肉を切らせて骨を断つことは厭わないくせに、こんなところで傷つくことを恐れる仁王はずるい!そんなん、好きに決まってるやろ。

対照的に、比呂士の方がきっと孤独に対する耐性があると思います。こう言うと語弊があるかも知れませんが、比呂士は自分に対していまいち意気地がない(自己肯定することに自信がない)という男性的な弱さと、孤独に対する耐性と言う、女性的な芯の強さを併せ持っていると思うんです。千歳のような図太さとはまた違うんですが、平たく言うとこれもある種の図太さだと言えます。比呂士は、堪え忍ぶと言うことができる。あ、そうかこれがアニマ(ユング の説において、男性の無意識内にある女性的特性)なのかな!?凄くしっくり来た。ゼノ(ギアス)で培ったオタク知識がこんな所で活かされるとは。

例えば、平均寿命もそうですが、一般に妻に先立たれた夫より夫に先立たれた妻の方が長生きであるというイメージが強いですよね。生物学的な理由もあるとは思いますが、平たく言うと女性のがしぶとく生きてる。こういう場合連れに先立たれた男の方が、がっくり来ちゃって憔悴しちゃう。仁王はもろに後者なのではないかと勘ぐっています。そうであってほしい。実際様々な創作物において、連れがいないと着替えがしまってある場所もわからないとか、食事一つも満足に作れない、と言った描写もよく目にします。まあ仁王は身の回りのことは平均程度にソツなくこなせそうですが。
一方女性はと言えば、割とたくましく立ち直って、ちゃっかりと人生のタイムラインを仕切り直して行ける人が多い。女性は強くたくましいといったようなことが言われる所以ですよね。

比呂士に関してはそこまで露骨とは言わないものの、仮に人生を左右されるような大きな喪失が起こっても、どれだけ時間がかかろうとも最終的には立ち直って前を向いて歩いていくのではないかと思うのです。だからきっと比呂士の方が芯が強い。そうかだから心太なのか!違うけど。どうでもいいけどトコロテンってさあ…ひろしさあ…いや、やめておこう。深読みはいけないな。

もう少し一般化して言うと、比呂士の方がストレスに対する内部処理がうまいんですね。これは行きすぎてしまうとただの逃避に繋がってしまうけど、健全な精神を保持する上で必要不可欠な防衛本能です。そもそもここら辺が弱かったらとても医者などやっていけないですよね。(比呂士=将来医者を当然のように前提とする)
一方仁王はそれが下手。だからいつまでも昔のことを引きずってる。
この内部処理に必要な燃料が時間であったり、傍にいてくれる他人だったり、せわしない日常だったりすると思うのですが、これも総じて女性の方が長けていると思います。細かいことをねちねち混ぜ返すのは女性だけど、大局的な決断を迫られたときにいつまでもうじうじ悩むのは男性の方、みたいな。

そう言った理由から、男やもめ比呂士ってのも…いいいいい!!!もえますね!!!比呂士済まない。
仮に仁王に同じことがあったら多分グッダグダに弱っちゃうと思う。「最愛の伴侶を失った仁王」なんて、想像するだけで痛々しい。だから仁王はそうなる前に自分の方から姿を消す。自分が孤独に弱いことを知っているからです。ずるい男です。そして仁王はその設定容姿からしてすべての手札がワイルドカードみたいで、あらゆる意味でずるい。あれでいて実は相当なグラスハートだなんて本当にずるい。
…ということを言いたくて描いたのが4/30の絵なのですが、例によって想像してたもとの全く別物になりました。

更に言うなら、仁王は深手を負っていればいるほど表面的には平静に装おうとするところが猛烈にずるい!!!

見てきたかのように語っていますが、すべて妄想です。でも私知ってる。

そう、私が思う仁王の悲しい性分のひとつに、本当に深刻なことほど軽く、ひょうきんに伝えてしまう、というのがあります。そう、シリアスほどカジュアルに。しつこく自分革命について語りますが、仁王にこういうバックグラウンドがあると思って聴くと更に涙腺崩壊です。いわゆるピエロもえって奴です。(ネーミングは今考えた)

一方比呂士はと言うと、彼にも例外はあって、仁王より芯が強いとは言ったものの、その喪失が「自分が引き金となってしまった」場合、きっと逆転現象が起こると思うんですね。それが直接的であれ間接的であれ、自分のせいで取り返しのつかないことが起こってしまった、となったら比呂士はきっと自分のことをひどく責める。例えそれが客観的に見て比呂士自身には非がないようなことだったとしても、比呂士はきっと自責の念を禁じ得ないと思うのです。ここで普段紳士の仮面の下に隠れている持ち前のネガティブを遺憾なく発揮。たぎるぁ~
反面仁王は必要以上に自責の念に駆られたりするようなことは無いと思う。その辺りの線引きは比呂士よりもドライでしょう。
こうしてみると、あらゆる点において正反対であると言うことは、あらゆる点においてお互いを補い合える関係であるとも言えるんですよね。双対性の妙とでも言いましょうか、

さいこうじゃねーの…!!!!!!!!!!!!!

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2010/05/12

見返り神の子

100512

(画力については捨て置いて、)肩にひっかけたジャージを華麗に翻しながら力強くターンして花道を戻っていくその振り向きざま、こういう感じの一瞬が目に飛び込んできたように思ったのですが、今となっては全く自信がない。私の願望が見せた幻だったのかも知れません。これが永遠の刹那という奴か。んもうわからないよ〜〜!なので、とりあえず「神の子〜デッドエンド」をなぞの無限ループで聴いています。本格的に人生のどん詰まり感が漂ってきた。それはそれとせずとも、聖母の如き慈愛の微笑みと修羅を纏った冷笑を棲み分ける、まさに神の子たるあの佇まいがすえおそろしいわあ。
そして神戸では醸し出されるジェントリーな佇まい・スタイル抜群紳士に注目していましたが、東京のあのシーンでは美しすぎる紳士(八戸市議・藤川氏リスペクト)の上半身に油断せず注目して行きたい。他にも多々感想はありますがネタバレになるので今回は控えます。ちなみに公演中叫んだ名前は「トゥティーーー!!」と「えぐっちゃああああん!!」です。

バレない程度に言及すると、今回もライトが落ちたところを捉えたカメラから中央のモニタに絶頂エクスタシーな映像が目に飛び込んできたのですが、あれ、DVDに入るんだろうな!?入らないんだろうな…。生だとひょんな所からえも言われぬ瞬間が目に飛び込んでくることが多々あるのでうかつに気を抜けません。過去DVDでも公演で実際目にした数々の絶頂映像はことごとく入っていなかったので期待はすまい。もっとも絶頂に思うところが大体スポットが当たっていない細かすぎる一角だったりするので無理もないのですが。直近ではフルボッコ乾を前に柳が葛藤する姿と微かに掠れた声で「やめろ、赤也」って言いながら思わず赤也の肩に手をかける所が悲しいくらいにフレームアウトしていた事でしょうか。あそこは少しくらい入れてくれても良かったんじゃないだろうか…???声はマイクで拾ってるかすら怪しいので無理か…。あと幸村が負けた後に「…すまない」って呟いて捌けていくところなど。

メッセージなどもありがとうございます。スパコミのお礼とあわせまして、折をみて返信させていただきますね。いつも励みにさせていただいています!

いただいたメッセージではっとしたのですが、決着のついていない在りし日の手塚と幸村の試合、それもあって幸村は手塚に期待していたんですよね。本編では、真田が回想で「優勝した幸村と互角、いやそれ以上…」と言っていました。幸村にとって真田はライバルでもあり同志でもあるんですが、幸村と互角に渡り合えた相手は手塚しかいなかった。だから手塚に関しては自分と近い視点で孤高の景色を睥睨すべき相手として、幸村は手塚に目をかけていた。もしかすると幸村は手塚のことを自分と同類の人種だと思っていたのかも知れません。だからこそ、決勝戦S1での手塚の凛然たる美しき醜態に、先の記事(2コ下)で述べたような感情を抱いたのかも知れないな、と思いました。失望と言ってしまえば単純なんですが、それだけではないと思うので簡潔に記すのが難しいです。
あとこの二人はテニス界最強のドSとテニス界最強のドMであると言うところにもたぎります。

Tags: ミュ, 幸村, 手塚, 立海

2010/05/02

部長、交錯する想い

幸村と手塚についてです。

100510

自分と同じチームの指針となるべき立場にありながら、独断専行で、しかも二度までも自らの腕を投げだそうとした手塚に対する幸村の評価は、ある意味軽蔑とも取れる非常に冷ややかな感情を孕んでいるのかも知れないな、と思いました。

これまで持ち前の才能と倦むことなき努力であらゆるものを組み伏せてきた神の子が、不慮の病に倒れたことで、不可抗力という壁の前に想像を絶する歯がゆさを味わってきたことは想像に難くありません。想像を絶することが想像に難くないってこれ、日本語あってんのか??仁王語だからいいか。
「いくら才能があったところで肉体がそれに伴わないのであれば何の意味もない」「いくら渇望したところで体が自由でなければ為す術もない」ということ、頂点の景色から一転、絶望の淵からWinning Roadを見上げることしかできなかった幸村がどれほどの辛酸をなめたか。理不尽という強大な敵を前に「徹底的に無力である」というのはどういうことか、幸村は身をもって知ってしまったんですよね。実体験として「体は資本である」と言うことをこれでもかというくらい痛感してきた幸村だからこそ、自らの、しかもテニスをする上で半身とも言うべき利き腕を惜しげもなく差し出そうとした手塚に対して、底知れぬ暗い、静かな失望があったのかも知れないなと思うのです。
 
 
手塚も腕に爆弾を抱えていますが、それは決して太刀打ちできない障害ではなく、上手く付き合っていけば完治できる見込みもあるのに、その可能性を自ら棒に振ろうとするところに、幸村は嫌悪をもよおすのではないかと。でもって手塚に限らず自分の肉体を軽んじる輩を幸村は内心忌避していると思う。若いうちは特に、肉体よりも精神活動の方に重きを置いてしまいがちなんですが、それは普段当たり前すぎて意識しないだけであって何事も器あって物種なんだと言うことを幸村は若い身空でありがなら痛感している。健全な精神は健全な肉体に宿る。かといって必要以上に行動にバイアスをかけてしまうことも、それはそれで皮肉なことだと思うんですが、幸村には要らぬ心配か。飽くなき知的好奇心を抑えきれずについついデータそれ自体が目的になってしまうことがありそうな乾と同様、健康それ自体が目的になってそうなのは白石だな…もちろん白石の場合狙ってやっ(ボケ)てる。ヨガの本場でリンクのようなヨガが流行っていると聞き、真っ先に白石を思い浮かべて噴きました。

…おっと脱線はそこまでだ。逆に考えると、そんな幸村を見てきていながら、自己犠牲に走る手塚(但し本人にそんな自覚はさらさらない)に執着を見せるなんて、悪気は無いとは言え真田も酷なことするなあ。この辺は柳が勝手に気を揉んでそうですね。皮肉なことに、そう言う迂闊とも言える一本気なところが真田の魅力でもあるのが難儀です。でもって幸村に「でも蓮二は真田がそう言う奴だから興味を持ったんだろ。奴が変わってしまったら詰まらなくなるのはお前だ。いいのか?」って冷やかされて、「そうだな。俺も相当な変人だな」って返すと。(ナチュラルに捏造を挿入)
 
 


手塚は真田に「お前の覚悟はそんなものか」と言っていましたが、この状況で選手生命を賭けて(自らの腕を犠牲にして)戦うこと=覚悟とは言えないですよね。そんなものは覚悟でも何でもなくて、ともすれば蛮勇と揶揄されてもおかしくない。
だからあの試合において幸村が手塚に向けた視線は、真田や跡部が手塚に向けるそれとは対照的なものになっていたのではないでしょうか。

(大局の判断を見誤って…こんなことで総てを棒に振るか、手塚)
(…くだらないな)

…といったところか。幸村のことだから、そんな有様の手塚に対する侮蔑の念を隠そうとすらしなかったかも知れません。今、腕と足を組みながらベンチに悠然と腰掛け、コートへ冷ややかな視線をくれている増田幸村が脳裏に浮かびました。こわあああ!!

(お前などもう俺の気にかける価値もない)
(そろそろ引導を渡してやろう)

ここで、真田への「真向勝負を捨てろ」に繋がります。このときの幸村の意図するところ、部長として立海三連覇を成し遂げるためというのが大大大前提ですが、同時に「お前は間違っている」と言う最後通牒を手塚に突きつける意味もあったのかも知れませんね。更に、目先の真向勝負に拘る真田に冷や水を浴びせる意味も。更に言うなら、そうすることで真田に雷を酷使させることを止められる。一石四鳥か…さすが神の子。精神面でも屈強な幸村は徹底的に私情を排して事に当たることができますが、この時挟まれた微かな私情と、勝利という目的は両立するので別に問題はないわけです。「それでいい…」の時の、酷薄を通り越した温度のない表情に改めて戦慄します。病を克服してからの幸村はホラ、深紅のベヘリットによって受肉したゴッドハンドみたいなもんだから。


 
 
ただ、試合が進むにつれ、幸村の手塚を見る目にも若干ながら変化が現れる。特に「手塚はまだ死んではいない!零式サーブだ!!」のところですが、それまで幸村は(手塚の選手生命はもう絶望的だ、奴はもう終わった)と思っていたからこそ、まだ余力を残していた手塚に対して珍しく動転したわけですよね。
これは私見というか願望に近いのですが、あそこで手塚は時間稼ぎという選択をしたけれど、真田を蔑ろにしたわけではない。そして真田は姑息的手段と平行しながら対峙できる相手とも思えません。時間稼ぎを選択した手塚も真向勝負を捨てた真田も、間違いなくお互い全力でしたよね。
そんな愚かな手塚の無様な姿に、最終的に幸村は「それはそれとして、(こういう生き方も、)」と思える位には心境の変化があったかも知れないなと思います。そうだったらいいな!

優れた選手は自己管理にも余念がない。もちろん将来設計があるなら尚更、こんなところで、剰え時間稼ぎなどという理由で選手生命を秤にかけるなどそんな愚かな選択はない。手塚、お前プロになるためドイツに渡ろうと思っているって言ってたじゃないか。幸村の考える通り、その点で手塚はとても優れた選手とは言えないでしょう。
ただ、そのどうしようもない愚かさこそが手塚の、真田や跡部を筆頭に、周囲の人間を引きつけてやまない手塚の魅力であることも幸村は意識の片隅で認知している。嫌悪、失望、微かな苛立ちと微かな怒り、そして最後に許容。幸村は手塚の生き様に決して同意はしないけど、認めてはいる。もっともそれを問われたら幸村は「あんな生き方俺はごめんだね」とにこやかに言い放つと思いますが。「生憎俺はマゾじゃないんだ」とかでもいい。幸村かっこいい!!
あんな朴念仁なのにどこか抜けていて頑固なまでにがむしゃら、人間くささを感じさせる手塚と、超然とした力で人を惹きつける幸村、同じ部長でありながらこの二人も対照的ですね。跡部と違って幸村は手塚に執心はしていないですが。
考えてみると、手塚が選手の中で最たる権限を持つ部長だったからこそ、こんな無茶がまかり通ったんでしょうね。そう考えると一番の暴君は案外手塚かもしれない。そして本人が無自覚なだけにたちが悪い。無自覚暴君手塚か…。決して悪くない。

そして改めて、こういう手塚の危うさを苦もなく受け止められるリョーマって本当に凄いなあと思いました。だって重いじゃん。手塚のリョーマに対するあれこれって。しかも手塚は自分が先代に打ち込まれた青学の柱という名の楔(呪縛と読む)をそのまま(悪気無く)リョーマに移行させようとしているんですよ。普通ならそんなこと言われても責任取れないし困る、勘弁してくれと思うと思うんですけど、リョーマはちぃ~す!って軽く受け止めるどころかそのままアメリカに高飛びですよ。大物過ぎるだろ。そりゃあテニスの王子様の主人公、The prince ”THE PRINCE OF TENNIS”だわ。
 
 


 
 
真田が幸村の命に従って真向勝負を採択しなかったことの是非については以前書いたのですが、言ってることが進歩していなくて残念です。私はここで大将の命に従順だった真田にはげもえました。将の命>自分の信念。それでこそ副将です。そして、真向勝負ではなくとも真剣勝負ではあった。二人とも間違いなく。
この決勝S3戦、真田本人は気づいているかわかりませんが、試合の終盤で結局は真向勝負になっちゃってたんじゃないでしょうか。最後とか相当がむしゃらですもんね。となると、真田は結局主将の命に背いてしまったということになります。これはチームという共同体において決してやってはならなかった、言わば背信行為な訳です。でも幸村は、このことに気づいていたとしても直接追求はせず、己の胸の裡に留めておくでしょうね。立海では過程<<<<<結果であり文字通り勝てば官軍なので、命令を破ったことは不問にするでしょう。そう思うと本当に勝てて良かったね真田。何より真田自身の身の安全のために。

そしてここ外せないんですけど、幸村は勝敗に対して徹底的にシビアだし冷徹な選手なので、その場に必要のない感情を表にこそ出しませんが、あくまで真摯に勝負へ挑んだ真田への、ある意味冒涜とも取れる手塚のプレイに対して、内心「それにしても時間稼ぎとはずいぶん侮ってくれたじゃないか」くらいには思ってたらいい。自身は真田に真向勝負を捨てさせておきながら、です。ニュアンス的には「ウチの若ぇモンに随分となめた真似をしてくれたのぉ」ってとこなんですけど、真田若いモンじゃないからどう言い換えていいかわからない!!
 
 


 
 
それはそれとして、手塚には介護要員としても動ける相手が望ましい。手塚からテニス取ったら生活能力が危ぶまれるほどのド天然ですからね。人の話聞いてねーし。そうすると否が応でも跡部が浮かぶんですよね。大石もそうなんですけど、スーパーフリーター菊丸先輩と手塚担当って介護疲れで胃に穴が開き続けるのも不憫です。
跡部は件の時ヘリの中におわしたので、自分が見つめ続けた男が自分以外の男を相手に再び自らの選手生命を賭して戦っていると知って、それを己が目で見守ることが叶わないと言った別種の歯がゆさもあったと思います。が、跡部なら、「…再び自らの腕を犠牲にしてな」の跡、(…馬鹿が)(本当にお前はどうしようもねえ馬鹿野郎だ、手塚)って心の中で独りごちたことが容易に想像できます。跡部は優しいな。
跡部にせよ木手にせよ真田にせよ幸村にせよ、方向性はどうあれ矢印は常に手塚への一方通行ってのにもえる。手塚罪作りすぎるだろ。相変わらずとんでもない温度差メーカーですね手塚は。

そしてここへ来てリョーマ以外に手塚から矢印の発信を受ける希有な存在、Yの登場により、手塚を取り巻く人間模様が複雑になってきました。俄然滾ってきた。いいぞ!5番コートチーム、跡部と木手もいますからね。ヒロイン(手塚)を巡って火花飛び散りまくりじゃなかろか。とか言って手塚、さほどY部長のこと気にかけてなかったらどうしよう。正直あいつならやりかねない。「やはりあなたでしたか…」だけでは判断に窮すところなので、今後の展開を見守りたいです。あ、鬼センパイもヒロインポジなことを忘れていました。ごめんね鬼センパイ。

Tags: 幸村, 手塚, , 真田, , 立海, 跡部, 青学

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