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シャムロック(三強考) « 雑記

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2010/06/04

シャムロック(三強考)

これだけは時勢に乗っておきたい。

柳!!!!
 
おめでとう!!!!!!!

今年こそ「ともに同じ蓮の上で暮らそう」ってプロポリスくれると信じています。あれ???何か違和感があるな???
間違えたプロポーズしてくれると信じています。
ついでに乾もおめでとう。

先ほどメールチェックしたら「柳蓮二」というサブジェクトのメールが届いており、一瞬何が起こったのかと目をむいてしまいました。松Pめー。ちなみにこのメールの本文で柳の今回の楽曲「Master Plan」について触れているのですが、

>デジタルサウンドをより現代風に意識したのが今回の楽曲。
>イントロから攻撃的な感じですが、
>攻めの柳が最後までスパークしています。


え??どういうこと…???????????????
一体どういうことなの??????????????????
何が起こっているの?????????????????????

早く実物をこの手にして、おのが耳で真実(Song by幸村精市)を、攻めの柳が最後までスパークしている様を確かめたいと思います。

さて、柳といえば3強という括りは切っても切り離せません。絵を更新する時間がないので下書き状態の長かった3強考を置いておきます。絵を描いてから…と思うといつも放置プレイになるので、開き直って文字のみで行きますね。
無駄に無駄すぎるほど長すぎるので、さすがに畳みました。結論だけご覧になりたい方は追記から最終行のみご参照下さい。

おおおお…!!比呂士ブログパーツが柳誕仕様になってる!!!美しい…
この間の真田といい、思わずニコニコしてしまいます。


 
【三強について考える】
まず最初にミュの話を少しさせて下さい。全国立海で少し物足りなかったのは、この作品には「受け継がれる柱」と言うのが根幹にあったのに全体的に手塚の影が薄かったこと、立海にスポットが当たった時の演出が真田幸村中心となっているところが多く、柳はその他チームメンバーと同列という印象だったことなどがあります。(ただしそれを含めて原作準拠と言えば準拠していますね…!一番破天荒なのは原作なので、むしろミュを観て新たな視点を持てたり再考させられることも非常に多くありますありがとうありがとう)
原作の流れから言っても元々この三人がセットでスポットが当たるようなシーンはそこまで多くありませんが、舞台上では基本的にベンチを含めたチームメンバー全員がそこにいる格好になるので、青学vs立海というチーム単位での視点がベースになると思います。
もちろん真田と幸村には柳が入り込む余地のない繋がりというものが存在すると思うので、それを見越した上での演出であれば寧ろ大満足なのですが、例えばチームとして歌う「三連覇に死角なし」とか、幸村+真田だけ前面に押し出すのではなくそこは3強という単位で演出してほしかったな、と思います。

ただし、

ここ超重要なんですけど、

三強という括りはあくまで立海というチーム全体を俯瞰した場合に見えてくるグループで、更に内側にフォーカスを絞って行くと【立海】>【三強】>【真田幸村+柳】となり柳はここでグループから外れるんですよね。つまり三強というグループをばらすと更に真田幸村+柳という単位に分かれる。立海全体>(三強+赤也)>三強>真田幸村+柳…という風にネストされているわけです。
もっとも柳は赤也ともダブルスを組んでいたりしますので、詳細については個々の受け取り方に依存する部分も大きいですが、ベスト3中の三番手であり三強という枠の一番外側に近いところにいというのも柳に対するもえの大きな要素でもあるんですね。忙しくて申し訳ない。
 

…と、当時は思っていたんですよね。そしたらさあ〜〜〜〜ドリライがさあ〜〜〜Year!!!!めっちゃ三強でさあ〜〜〜うえしませんせい演出のせんせいありがとうありがとう!!!!!!文句ばっかり言ってゴミ~ンネ☆ミ 現金にも程があります。

 
 
…おっとつい取り乱してしまいました。話の続きです。

以前、三強についての記事(この辺りこの辺り)で、幸村にとって真田の激励も柳の保険も必要だったのではないか、と書きました。
真田と柳の二人は、選手として幸村と相対するときに限っては、彼を「神の子」と称したことは一度もなかったのではないでしょうか。
選手として幸村を超えることを諦めてはいない二人にとって、幸村のことを人の子ではないと称することは自分が土俵から降りることを意味するし、神の子という通り名で呼ぶことで相手が自分とは異なる次元の存在だと位置づけ、自分は人の子だから超えられずとも仕方ないと、そこに至れない自分を正統化し選手としての幸村を否定するという、その言葉の孕む残酷さも分かっているからです。
これは、レギュ落ち前の宍戸が跡部に対して「あいつは特別だから、他の奴らとは違うから」と言い訳して自己防衛(自己ハンディキャッピング)していたことと似ていると思います。幾ら跡部といえどもそんなこと言われたら内心暗い影を落としていたと思う。もちろんナチュラルにねつ造なので気をつけて下さい。

一方真田と柳はレギュ落ち前の宍戸よりは精神的に成熟しているので、そういううかつなことはしないのではないかと思います(ただし、そう言ううかつなとこがレギュ落ち前の宍戸における魅力です)。何より、まだ諦めていないから。従ってその呼び名を口にする時は、かなりTPOを選んで使用していたのではないかと思います。
そして、そのことを特に談合するでもなく、当たり前にそうあれる3人ってのに燃える。


【真田について考える】
ただ真田は、プレイヤーとして幸村に挑戦し続けることを諦めない一方で、幸村のことを無意識に神格化してもいるんですよね。いつか必ずお前を超えてやると幸村に真向勝負を挑み続けながら、どこかで「幸村が負けるはずなど無い」と盲信もしている。矛盾していますよね。そして幸村を頂に据えている限り自分たちの勢威は安泰だと疑いもしない。少し考えれば、高みに行けば行くほど足場が狭く不安定になっていくことくらいわかるはずなのに、真田は幸村がいれば盤石だと思ってる。その無意識の崇拝と精神的依存が、幸村の恐ろしく凪いだ水面を微かに波立たせる数少ない要素であることを彼は知らない。知らないと言うより、自分があの幸村にとってそこまで影響力のある存在であるなどとは考えもしないのだと思います。
あと真田は、逆に柳に対しては幸村に晒せないような弱音を「こんなことが言えるのはお前だけだ、蓮二」とかいって漏らしたりしそう。どこまでまっすぐで残酷なんだお前は。

真田と幸村は、それこそ時間だけじゃなく、お互い誰よりも多くのものごとを共有してきたはずです。真田が幸村に依存していたように、幸村にとっての真田も、今の彼を形成する上で多大な影響を及ぼしていたと思うんですよね。
幸村の勝敗に対する徹底的なシビアさ、鋼の意志、そして鬼神とも言うべき圧倒的な強さ。これらは詰まるところ「勝つこと」に回帰するんですよね。非常にシンプルに。じゃあなんで幸村がそんな風になっていったかというと、周囲の環境に加え、少なからず真田の存在があったからじゃないかと考えました。

【幸村について考える】
生来の彼は、他人にも自分にも決して甘くはないが、穏やかで慈悲深い人だと思います。
幸村のイップスについて先生は「幸村の強さゆえに、相手が勝手に固くなっちゃうだけ」と仰っていました。つまり幸村が強すぎるというだけでみんな自分から勝手に絶望して、テニスをするのが嫌になっちゃうてことですよね。既に頭角を現しまくっていたであろう幼き日の幸村は、このことに対して何を思い何を感じていたのでしょうか?自分が強すぎるからという理不尽な理由で畏怖の対象にされ、強くなればなるほど孤立していったであろう幼少の幸村を思うと、うおおおお幸村ああああと思わずにはいられません。特に、幼い頃なんて小難しいことに気を回す頭もなくて、ただ強くなることが楽しくて、まさに南次郎の言うように日が暮れるのも忘れて夢中でボールを追いかけていたに違いない幸村ですが、幸村が純粋にテニスを楽しもうとすればするほど、相手はテニスを嫌いになって彼のもとから去っていく。そして幸村は誰もいなくなったコートの内側に一人残される。うおおおお幸村あああああ

そんな環境に長く置かれてテニスを楽しむためのテニスなんて選択できるわけねーだろ。南次郎無茶言うな。
そう、だから、幸村には勝つためだけのテニスしかなかったんです。うおおおお幸村あああああ

このような状況に置かれ続けることで、「幸村の世界@ペアプリ5巻」は徐々に白と黒、それ以外には存在しない静謐で孤独なモノクロームの世界へと沈んでいったんだと思います。そう考えると、最初にイップスに陥ったのは他でもない幸村だったのかもしれない。そして病に倒れたことで再び体の自由が利かなくなった幸村にその時のトラウマがフラッシュバックしたりしたこともあったのでしょうか。うおおおお幸村あああああ
更に突っ込んで考えると、白星を求道(ぐどう)し続けた幸村の内的世界は、どこまでも無色透明な、それでいて完全なる白の世界だったのかも知れません。白の求道者・幸村か…幸村かあああああっこいいいいい!!!!!
対照的に、幸村によって五感を奪われた選手の内的世界の描写が真っ暗闇だというところも興味深いですね。これは敗北を意味すると黒だと捉えていいのでしょうか。イエス!!深読みするのが仕事です。

再びミュの話で恐縮ですが、DL7の全校SEASONで真田の「なあ、憶えているか」との問いかけに、幸村が「挫折を感じて落ち込んだあの冬の日」と返したことで、「挫折を感じて落ち込んだあの冬の日」とは、「真田が弱気になった幸村に一度だけ鉄拳制裁を放った日」のことなのかもしれない、と深読みしたらくっっっっっっっっっっっっっっそ滾りました。

【真田と幸村について考える】
そして、そんなモノクロームだった幸村の世界にわずかな音と色彩をもたらしていたのが真田であったんじゃないかなと思います。それは非常に微かなさざ波なんですが、それでも確実に、そして継続的に幸村の世界を外側からノックする。多くの人間が幸村から遠ざかっていく中、真田だけは、何度打ちのめされようと倦むことなく真っ向から幸村に挑戦し続けたに違いないからです。
それだけなら「じゃあ真田のお陰で幸村はテニスを楽しむことができていたのでは?」ということになるんですが、先に述べたように、真田は幸村に挑戦し続けることを諦めなかったのと同時に、幸村に完全を求めてしまってもいたんです。繰り返しますが、幸村に対する無意識の精神的依存ですね。
これは、「そうだ!幸村の言うとおりだ!」といった台詞に代表されるような真田のイエスマンぶりにも表れています。真田は自分の意思決定プロセスを幸村に委ねてしまっていた。そして、そのこと対して自覚がなく、更に全く悪気のないところが、真田の長所でもあり最大の欠点でもある。ある意味この欠落した意志決定の部分は副将である真田ではなく腹心である柳がカバーしてきたんですよね。参謀として。本当にこの三人は絶妙なバランスすぎます。

そして、真田からこの二律背反する感情を向けられた幸村は、
(お前が俺に全能を求めるなら、お前の望むとおりの俺でいてやるよ、真田)
…内心こう返すしかなかったのではないでしょうか。ある意味真田が神に選ばれし男・幸村を仕上げるダメ押しをしたと。
だから幸村には勝つことしかなかったんだよ、真田…。幸村を強くしたのも弱くしたのもある意味真田、お前なんだよ…
そして良きにせよ悪しきにせよ真田が幸村にそう言ったスタンスを取ることで、幸村もまた全能なる白の求道者として、常に極限まで己を研ぎ澄ませ自身を高みに置いておくことができる。これって共依存とも言えますよね。ちなみに幸村はこのことを自覚していて、真田は気づいていない。柳は気づいているけど自分が2人を超えられないでいる以上、傍観に徹するしかない。こちらは、事態を把握していながらもなす術を持てない者の苦悩があります。柳…!!!


 
【真田の幸村崇拝からの脱却について考える】
しかし、そんな幸村信者だった真田が、全国大会決勝戦において自らの意志で対戦相手であるリョーマの記憶を甦らせるための一助を買って出るという、立海の副将としてはおよそ許されざる振る舞いをした。これは、真田が幸村への精神的依存から脱却し始めていると言うことを示すのではないでしょうか。幸村が真田にとってまだ神の代弁者であるならば、その命に背くことはまさに涜神とも言える行為に他なりません。以前の真田なら、そんな採択をすることはあり得ない。
剰え「幸村が真向勝負を望んでいる」というのはあくまでも真田の弁であり、それが幸村自身の意志だという裏打ちはどこにもない。寧ろ立海の今までの方針から類推すれば、常に勝利を最終到達点に据えていた幸村が真向勝負だ何だという、試合運びの方策それ自体に拘るとは到底思えません。幸村=立海にとっては勝利、だたそれだけが第一義なのですから、結果(勝利)より過程(試合内容)が前に来ることはあり得ない。過去の立海の、非情そして非常に際どい試合展開を見てもそれは歴然としています。仮にリョーマが結局間に合わず、不戦勝で立海が優勝という結果になったとしても、幸村は
「やれやれ、こちらとしてはせっかく間に合うように仕上げてきたんだけどな」
って感じでさほど惜しむ風でもなく優雅にジャージを翻してコートを去ると思います。

表向きは。
 

そう、幸村もすぐにコートには入らなかった。何故か。
平時の幸村ならば、無駄な行程は踏まずにさっさとコートに入り、タイムアウトを狙ってスマートに不戦勝、という選択をしていたとしても違和感がありません。それやったら話が終わてまうと言う実際的な事情はあるにせよ、ここで幸村は、真田を倒し、更には真田(たち)の助力で甦ったリョーマをも斃…じゃない倒すことが、真田が先に依存関係を抜けようとしたことで幸村の世界に落とされた波紋を鎮める手立てになると考えたのかもしれません。今起こり始めている大きな変化の前兆は、それですべて押さえ込めると。だから幸村は金ちゃんの挑発に敢えて乗り、リョーマを待った。もちろん、これは幸村に自信と余裕があったからこそできたことであり、理由は単純に一つではないと思いますが。

同時にそれはこうも言い換えられます。
勝つか負けるか。白か黒か。それがすべてだった幸村のテニスが、ここへきて試合それ自体が意味を持った。あの徹底的に私情(自我)を排することのできる幸村が。そして天衣無縫に目覚めたリョーマに追い詰められていくことで、モノクロームだった幸村の世界(テニスと読む)がにわかに彩度を増し始めた。これはかなり重大な変化だったんじゃないかと思うのですがどうか。更に深読みすると、実はあの時リョーマを待った幸村の選択は「今お前にやろ〜俺の余裕〜」と言いながらも逆に余裕のなさの表れだったとも取れるのかも知れません。とは言え仮にあれが珍しく感情的になった故の行動だったとしても外側からはあの程度にしか映らないんですから、幸村の自己統制力は凄まじいものだったと言うことが分かります。

そして2人の心中を察していながらも傍観に徹するしかない柳のことを想うと心が千々に乱れそうです。


では真田は何故絶対的な存在である神の子に背いてまでリョーマに荷担したのか。これは以前にも言及しましたが、真田の、神の子からの支配を離れた自我の目覚めと、「どんな相手だろうと幸村が負けるはずがない」という盲信、この二つの相反する動機が、皮肉にも同じ行動に結びついて行ったのではないでしょうか。本人はそんな小難しいところまで頭が回ってないと思いますけど。
またしてもミュの話が混ざって恐縮ですが、試合の終盤、幸村が天衣無縫に覚醒したリョーマに追い詰められたところで、真田はずっと茫然自失の体で試合を見守っていたんですよね。斉唱のときでさえも。これは素直に天衣無縫状態のリョーマに仰天しているとも取れるんですけど、実は、今まで真田の世界に現実として起こりえるはずの無かった「幸村の敗北」というのがすぐそこまで、実際的に忍び寄ってきた事に愕然としていたのではないかとも思います。だから真田はここで「俺はもしかしてとんでもないことをしてしまったのかも知れない」とも思っていたかも知れない。漠然と。このことは追い詰められ完全に余裕を失い、必死の形相の幸村を目の当たりにした真田の「幸村…」という台詞からも読み取れます。

真田は幸村への精神的依存からどのタイミングで抜けたのか?と言うことも重要だと思いますが、これはある時唐突に鎖が切れたのではなく「長い間に少しずつ綻びていったものが、最後は加速度をつけて満ちた」と私は考えます。例えばそれは日常のとりとめもない出来事でふと感じた違和感であったり、幸村の戦線離脱という大きな壁にぶち当たった時であったり、その時の幸村がおよそらしくない弱音を吐いた時だったり、柳の忠告であったり、赤也が巻き起こした無鉄砲な風であったりと、徐々に真田が幸村に抱いている万能感にヒビが入っていっていたんだと思います。でもそれはすぐに瓦解したわけではないから、真田の言動は幸村は万能だ、いやそうではないと揺れ動く。それは独断でリョーマのもとへ向かった時であったり、幸村の敗北が現実味を帯びたことに対する戸惑いに表出したりしている。そしてそれが完全に決壊したのは、多分「幸村ぁ勝たんかーっ!!」の雄叫びとともに立海の全国準優勝が決まった瞬間でしょうね。この時、真田にとっての(あるいは立海にとっての)神は死んだ。

もちろんすぐにとは言えないけれど、結果的にこの時の立海の、同時に絶対王者だった立海の象徴である幸村の敗北が真田の自立を促し、幸村を人の子に引き戻し、幸村と真田は対等に相対(あいたい)することが出来るようになって、二人はまた一段深い関係に昇華できるんだと思います。泣ける…
そうして一度死んだ神はまた新しく転生するのです。今度は深紅のベヘリットによって甦ったゴッドハンドとは違います。幸村はもう深淵の神(の子)ではない。

そういえば新テニで見せた真田のあの黒いオーラですが、やっと幸村と対等になれたからこそ、五感剥奪イップス克服フラグを立てることができたのか真田は。先生…(今のところは)本当にありがとうございます。


【柳について考える】
一方柳(ここまできてやっと…柳の話に…)は、三強の三番手として二人に挑戦し続ける一方で、自分が二人を恐らく越えられないであろうことを、感情面を抜きにした客観的事実として薄々予感してしまっている。そして彼が客観的であればあろうとするほど、論理的であろうとすればするほど、何よりデータマンとしての能力を磨くほど、その未来は現実味を帯びてゆく。哀しい自家撞着がそこにあります。
そして、これは無我使いであるか否かを基準に考えるとわかりやすいんですが、柳は「俺は向こう側の人間ではない」とは思っているんですよね。柳はその聡さ故に、自分の望む結末とは異なる、データに裏打ちされた未来(結末と読む)を否が応でも予測できてしまう。これはつらいです。これは、データを利用して自らを高めるという手段を選択した柳が獲得した、高すぎる自己客観化能力の弊害とも言えます。でもこの弊害は、データという道を選択する限りまさに一蓮托生なんですよね。蓮二にとって。私情を排し冷静であればあるほど、逆に自分が我を無くす(無我になる)ことが出来ないことに気づくというのも皮肉です。
あとこれは乾にも同じことが言えます。乾の場合は主に手塚とリョーマがその対象でしょう。このデータマン二人の置かれた境遇も共通点と相違点それぞれに滾りますよね。柳は乾に対してだけは年相応に子供っぽく、そして意地っ張りになるんじゃないかと思います。それは彼が処世術と、かの手段を選択するために捨てざるを得なかった幼児性を乾の前でだけは繕う必要がないから、意地っ張りでわがままな彼の生来の性質が顔を出すのかも知れません。そして子供の頃と違うのは、柳はそれをわかっててやってる所です。余計にたちが悪いとも言う。

柳のデータテニスの話に戻ります。
努力だけでは越えられない壁というのは確かに存在する。頂点に立つことのできるのはほんの一握りの人間だということも、揺るがない現実です。でも誰にとっても可能性がゼロではないところが皮肉なものであり、同時にそれゆえ人々を奮い立たせるよりどころともなる。そしてよりどころというのは、前を向いて歩いていくための標ともなり、逆に依存しすぎると目標が見えなくなる。滾る!
ただ柳はこの弊害と共生していくことを選んだ上で

「たまには分の悪い賭に打って出るのも悪くないと思ってな」

って穏やかに微笑みながら試合を挑むんですよ幸村に。柳は非常に合理的かつロジカルに物事を考える訓練を積んだ男ですが、「人の持つナンセンスでファジーな部分」てのも平行して配慮できるんですよね。はあ~~~蓮二…かっこいい…。正直柳が162個もチョコレートをもらっていることに軽く嫉妬しましたよね。だっていちファン気取りで大勢のメス猫の一人として気軽に送れる跡部と違って柳なら本命率絶対高いに決まってんじゃん!!まさか仁王より多いなんて…。ライバル多いわー。そして確実に旬だと思っていた比呂士の獲得数が予想以上に少なく逆にびっくりしたので、来年チョコを送るとしたら比呂士にしようとそっと決意しました。比呂士が一位になるためにはあと2804個も送らないといけなかったなんて…バカな!!!世の中CURUTTELU(RとLを意図的に使い分ける=Gentry,Gently法)
比呂士の獲得数が控えめなのは、きっと比呂士が好きな人に控えめな淑女が多いからなんだろなあ☆~と思っていたんですがそもそも自分がそのプロファイリングに当てはまっていないことに気づいてしまい即撤回する羽目になりました。
そして、こんだけバレンタインに便乗して話題に出しといて実はやまだかつて送ったことが無いことがたいへん申し訳ない。ひかえめというか絶望的にものぐさってのは認めざるを得ない。


…何の話でしたっけ。割とシリアスに展開してきたのに最後ギャグで終わりました。残念です。
早いものでもうSQの発売日です。2ヶ月もあったのにまだ心の準備ができていないなんて…

それにしてもいつも以上にとりとめがなく散漫な文になってしまいました。推敲が足りずいまいち考えがまとまらない部分もあるので、後ほど修正するかもしれません。しないかもしれません。三強について考え始めると、それぞれを取り巻く感情が非常に複雑かつ微妙なニュアンスで成り立っている気がするので、その複雑で微妙な心の機微を簡潔にまとめるのが非常に難しいです。だからってさっっすがに今回のボリュームはひどいとは思います。
やっほっほ〜〜〜〜い!誰か見てますか???誰も…いませんか…      …
 
 

つまり三強の存在はどの脚が欠けても成立しない奇跡のバランスだなと再確認したということです。

Tags: ミュ, 三強, 幸村, , 比呂士, 真田, , 立海, 赤也, 跡部, 青学

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